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高知地方裁判所 昭和59年(ワ)245号 判決 1990年1月23日

原告 中央物産株式会社

右代表者代表取締役 久万一

右訴訟代理人弁護士 隅田誠一

被告 河野弘訓

被告 川田耕三

被告 中平めぐむ

右三名訴訟代理人弁護士 森川廉

主文

一、原告の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1. 被告らは、原告に対し、連帯して一五四四万一〇〇〇円及びこれを対する昭和五九年六月一日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2. 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3. 仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 当事者

(一)  原告は、冷凍食品、鮮魚及び一般生鮮食品の加工及び販売等を目的として、昭和五四年三月一四日設立された株式会社である。

(二)  被告河野弘訓(以下「被告河野」という。)は、原告の代表取締役久万一(以下「久万一」という。)が経営している訴外久万水産有限会社(以下「久万水産」という。)に昭和五二年三月から勤務していたが、原告の設立とともにその取締役営業部長に就任し、事実上、原告の責任者としてその経営に携わっていたものである。

(三)  被告川田耕三(以下「被告川田」という。)は、久万水産に勤務していたが、原告設立後約一年経過したころ原告に出向し、昭和五七年四月二一日から原告の加工主任として勤務していたものである。

(四)  被告中平めぐむ(以下「被告中平」という。)は、昭和五四年四月久万水産に入社後、原告に転出し、昭和五五年二月一六日から原告の経理主任として勤務していたものである。

2. 被告らの違法行為

(一)  被告河野は、昭和五八年一二月中旬、原告の毎月の交際費が多額すぎること及び被告中平との男女仲が噂になっていることについて、久万一から注意を受けたことを不満として、これを契機に、自ら原告と同じ営業内容の新会社を設立して独立し、原告の取引先を取り込み、かつ、原告の経理主任被告中平、加工主任被告川田その他の従業員の協力を得て原告に取って替わろうと密かに考えるに至り、そのころ、被告らは共謀のうえ、原告とその営業内容を同じくする新会社を設立して、原告の従業員を引き抜き、原告の取引先を取り込んで利得し、原告に損害を加えようと企図した。

(二)  被告河野が久万一から右注意を受けた直後、被告中平が、結婚準備のため昭和五九年一月中旬に退職したい旨を原告に申し出た。そこで、久万一は、被告河野を呼び、「お前はやめないだろうな。」と聞いたところ、同被告はやめない旨返答して久万一を欺いた。当時、原告の取締役は四名であったが、昭和五九年一月四日、取締役の一人で病気入院中であった加工工場の工場長訴外前田悟(以下「前田」という。)が同月二〇日付で退職したい旨申し出たので、久万一はやむをえないものとしてこれを了承した。同月四日、被告川田が同月一四日付で退職したい旨申し出た。久万一は、被告川田が退職すると、残る加工担当者はパートの女性二名だけとなって原告の運営に支障を来すことから、同被告の退職を思い留まらせようと種々慰留したところ、同被告は、「原告と同じような仕事を友人とやることになっている。」旨もらした。そこで、久万一は、被告河野に被告川田の退職慰留を依頼したところ、被告河野は、その心中を秘してこれを了承する旨返答した。ところが、同月八日に至り、被告河野は、昭和五八年一二月三一日付の書面で昭和五九年一月二五日限り退職する旨を久万一に申し出た。驚いた久万一は、思い直してくれるよう極力慰留に努めたが、同被告は退職の意思を変えなかったので、同月中旬には同被告の退職もやむをえないと観念した。そして、原告の営業は、被告河野が営業部長としてそのすべてを掌握しており、加工工場長、加工主任も退職することとなっては、一〇〇社に余る取引先の需要に応ずることは到底不可能と判断して、久万一は、その時点で、被告河野に対し、それまでの取引先のうち旅館等を断るよう指示せざるをえなかった。

(三)  右のとおり、被告らは、昭和五九年一月八日、被告河野が同月二五日付で退職する旨の辞表を原告に提出し、次いで、同月一四日、被告川田及び同中平が退職し、同月二〇日、農産、水産及び総合冷凍食品の卸、小売業等を目的とする訴外翔栄興産株式会社(以下「翔栄興産」という。)を設立し、被告河野が代表取締役、被告川田及び同中平が取締役に各就任し、被告河野が原告を退職した同月二五日の翌日から予ての計画と準備に従い、原告の取引先のうち売上上位一〇社中の七社を含む四八社を取り込んで、前日までの原告の営業を引き継ぐかたちで翔栄興産名義で営業を開始し、さらに、原告の営業部員田内春夫(以下「田内」という。)を同年二月中に、同パートタイマー河野徳子を同年四月一三日に各引き抜いた。なお、同年一月二〇日退職した前記前田は、同年五月一〇日ころから翔栄興産に勤務している。

(四)  原告の取締役の定数は三名以上七名以内と規定されている(定款二〇条)ところ、被告河野が退職した同年一月二五日現在の原告の取締役数は同被告を含めて三名であったから、同被告は、同年七月二三日の原告の株主総会で岡田正志(以下「岡田」という。)が新取締役に選任されて就職するまで、なお取締役としての権利義務を有したものである(商法二五八条一項)。

(五)  したがって、被告河野は、昭和五九年七月二三日まで、原告に対し忠実義務(同法二五四条ノ三)及び競業避止義務(同法二六四条)を負っていたものであるところ、被告らの前記(一)記載の共謀行為はこれらの義務に反する違法行為であるから、被告らは、それぞれ、原告が被った後記損害を賠償する義務がある。なお、被告らは、後記二4(四)のとおり主張するけれども、久万一が被告河野に対しそれまでの取引先のうち旅館等を断るよう指示したのは昭和五九年一月中旬のことであるから、同月二〇日に翔栄興産を設立し、同月二六日から原告の得意先をそのまま引き継ぐかたちでその営業を開始しているなどその後の経緯に鑑みれば、むしろ月単位で以前から被告らが共謀して計画的に事を仕組んでいたものというべきである。

3. 損害

原告は、昭和五七年一二月一日から昭和五八年五月三一日までの間の営業で一〇〇八万円の利益を上げていたところ、同年一二月一日から昭和五九年五月三一日までの間の営業で六九六万六〇〇〇円の損失となり、その比較だけでも一七〇四万六〇〇〇円の減収となったのであるから、被告らの右違法行為によって、少なくとも右同額の損害を被ったものである。

よって、原告は、被告らに対し、本件違法行為による損害賠償の内金請求として、連帯して一五四四万一〇〇〇円及びこれに対する本件違法行為の後である昭和五九年六月一日以降完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否及び被告らの主張

1. 請求原因1について

(一)  同(一)は認める。

(二)  同(二)のうち、被告河野が久万一の経営する久万水産に昭和五二年三月から勤務したこと、原告の設立とともにその取締役営業部長に就任したことは認め、その余は否認する。

(三)  同(三)は認める。

(四)  同(四)のうち、被告中平が昭和五四年四月久万水産に入社後、原告に転出したこと、昭和五八年夏ころから原告の経理主任をしていたことは認め、その余は否認する。

2. 同2について

(一)  同(一)は否認する。

(二)  同(二)のうち、昭和五八年一二月中旬、被告中平が結婚を名目上の理由にして昭和五九年一月中旬に退職したい旨原告に申し出たこと、同月四日、被告川田が同月一四日付で退職したい旨原告に申し出たこと、同月八日、被告河野が同月二五日限りで退職する旨原告に申し出たこと、同月中旬、久万一が被告河野に対し取引先のうち旅館等を断るよう指示したことは認め、その余は否認する。

(三)  同(三)のうち、昭和五九年一月八日、被告河野が同月二五日付で退職する旨の辞表を原告に提出し、右同日原告を退職したこと、同月一四日、被告川田及び同中平が原告を退職したこと、同月二〇日、農産、水産及び総合冷凍食品の卸、小売業等を目的とする翔栄興産が設立されたこと、被告河野が翔栄興産の代表取締役、被告川田及び同中平が取締役に各就任したこと、同月二六日、翔栄興産の営業が開始されたこと、田内が同年三月一日ころから、河野徳子が同年四月一六日ころから、いずれも原告を退職して翔栄興産に勤務したこと、前田が同年一月二〇日原告を退職し、同年六月上旬ころから翔栄興産に勤務したことは認め、その余は否認する。

(四)  同(四)のうち、原告の定款二〇条に取締役の定数が三名以上七名以内と規定されていることは不知、その余は否認する。

(五)  同(五)は否認する。後記二4及び三で述べる本件の具体的事情の下においては、被告河野に商法二五八条一項が適用される実質的要件がないというべきである。

3. 同3について

否認する。元々この業界は競争が激しく、景気の動向に大きく左右され、毎年確定的に見込まれるほど売上高に確実性があるものではないところ、原告主張の売上の減少は、原告の取引先の縮小という営業方針及び企業努力の不足等に起因するものである。また、被告河野の取締役としての権限は、取締役会に出席し、その意思決定に参加することであって、営業部長としての原告の売上向上に対する同被告の貢献は、取締役としての職務ではなく従業員としての職務に由来するものである。したがって、被告河野の取締役としての原告に対する職務上の義務の懈怠と原告主張の損害との間には相当因果関係がない。

4. 被告らの主張

(一)  被告河野は、昭和五八年一二月上旬ころ、久万一から、同被告が原告の交際費を水増ししてこれを着服しているとの疑いをかけられ、また、被告中平と男女関係があるかのような中傷をされて名誉を強く毀損されたのみならず、その後の調査の結果、同被告の身の潔白が判明したにもかかわらず、一言の謝罪もないことに久万一及びその妹で原告の取締役である久万やすら原告の経営者たる久万兄妹に対する信頼を喪失し、原告を退職する気持ちになったものである。

(二)  被告中平は、久万兄妹が日頃から原告及び久万水産の従業員やその家族等をあからさまに非難するなどし、同兄妹の経営者としての思いやりに欠ける言動や態度に心を傷めていたところ、久万一の右交際費の水増し着服及び被告河野との中傷等に強い憤りを感じて、久万兄妹に対し信頼をなくするとともに愛想がつき、親族と相談して固く辞職を決意し、「結婚」という慰留できない理由を名目として退職の申入れをしたものである。

(三)  被告川田も、久万兄妹の経営者としての思いやりに欠ける言動や態度等により、昭和五八年夏ころから退職を考えたりしていたところ、同被告と特に親しかった前田が職業病ともいえる腰椎ヘルニア等で入院中の同年一二月末ころ、久万一が前田の症状を医師に確かめもせずに昭和五九年一月五日より出社するよう命じたことなどを見聞きしたことが契機となって、「今日は人の身、明日は我が身」と実感して退職の申入れをしたものである。

(四)  しかして、被告河野は、一時「福辰」に就職しようかと考えたりもしたが、昭和五九年一月中旬ころ、久万一から原告は今後支払条件のよい顧客とのみ取引し支払条件の悪い旅館関係等は同被告の退職時までに取引を断るよう指示されたことから、事実上、自ら開拓したこれら顧客を断ることの寂しさも契機となって、そのころ、従前の経験を生かして独立することを模索し始め、また、被告川田及び同中平に対し、資金的に目途がつけば独立したい旨話をした。そして、元々原告は株式会社としての実体の伴わない小規模な家族会社であるところ、被告河野は、昭和五九年一月一八日に出資金の返還を受け、同月二五日、円満に原告を退職したものであるから、同被告が、その後においては、どのような職業に就こうとも本来自由であり、原告を退職した後は原告との関係はなくなり、自由競争の範囲内で原告と競業関係にある職業を選択しても何ら差し支えがないと考えたとしても、どこにも過失はない。まして、被告川田及び同中平が、生計を立てるために、これまでの経験を生かすべく翔栄興産に一部資本参加し、自由競争の範囲内で原告と競業関係にある会社の役員として活動することは何ら違法でない。

三、抗弁

原告は、商法二五八条一項を根拠にして、被告河野が原告を退職した後も原告に対し忠実義務(同法二五四条ノ三)及び競業避止義務(同法二六四条)を負っている旨主張して本訴請求をしているけれども、原告の右主張は、以下のとおり信義則に反するものであり、したがって、本訴請求は権利の濫用として許されないものである。すなわち、

(一)  原告設立時の資本金は五〇〇万円と小規模なものであり、その出資の内訳は、久万一・真理子夫婦二〇〇万円、久万やす九〇万円、久万勇(久万一の父)一〇万円、被告河野夫婦一〇〇万円、前田五〇万円、岡田五〇万円であって、久万一の親族が三〇〇万円を占めており、久万一は代表取締役として原告の経営に関する最終の決定権限を有し、久万やすは取締役で経理関係を担当し、原告の代表取締役印及び銀行届出印を保管するとともに手形の振出をなすなど経理の全権を掌握していたものである。被告河野は、代表権のない平取締役であって、経営に関する実質的権限はなく、いわば従業員として営業部長の仕事を担当していただけであり、前田も久万一からいわれて取締役になっただけで経営に関する実質的権限はなかった。そして、被告河野が原告を退職した昭和五九年一月二五日時点では、前記久万勇はすでに死亡しており、前田は退職して出資金の返還を受けており、被告河野夫婦の出資金も同月一八日に返還を受けており、したがって、当時久万水産に勤務していた岡田を除けば、原告の株主は、久万一・真理子夫婦と久万やすの三名であり、株式会社の実体のない個人企業にすぎなかったものである。久万一は、被告河野の退職が確定した後、その退職前からいつでも臨時株主総会を招集して同被告の後任の取締役を選任できたのである。平取締役の選任には特段の要件は必要ではなく、営業能力等の点は従業員としての職能・手腕の問題であって、取締役の補充とは直接の関係はない。原告には、従前どおり、代表取締役たる久万一及び経理関係を掌握していた久万やすがおり、被告河野の後任の候補者として訴外久万久(以下「久万久」という。)や岡田等がいたのであるから、被告河野の後任を選任することはたやすくできたはずである。原告は、前田や被告らが相次いで退職していったために、倒産寸前の状態に追い込まれ、これを回避するため多忙を極め臨時株主総会を開催するどころではなかった旨主張するけれども、右の者達は、原告の了解を得て退職したものであり、また、原告は、被告中平の後任として、訴外浜田勢津子(以下「浜田」という。)を、同被告が退職の申入れをしてから一週間以内に採用補充し、同被告が担当していた経理関係については、従来より久万やすが監督していたものであるうえ、経理のコンピューターの取扱いや帳簿類等の関係も円滑に事務の引継ぎがなされたものであり、さらに、昭和五九年一月一〇日ころには、久万一は、以前原告に勤務していたことのある同人の従兄弟にあたる久万久に原告の営業についての事実上の切り盛りを依頼し、久万久は、同月二〇日ころから実質上原告に勤務し始め、被告河野が担当していた営業関係も、経験のある久万久には十分わかる状況であり、また、集金等についても、被告河野は、久万やすに対して振込以外の顧客の住所と具体的な集金場所につき説明していたのであるから、被告河野の後任の新取締役を選任するための臨時株主総会を開催することができないほど切迫した状況ではなかった。

(二)  ところで、取締役を退任すれば、被告河野がどのような職業に就こうと本来自由であり、憲法上も職業選択の自由として保障されている。しかして、被告河野が原告を退職すれば、原告の取締役数は法定数を欠くこととなるのであるから、久万一は、遅滞なく後任の取締役を選任しなければ過料に処せられる(商法四九八条一項一八号)ところ、前記(一)のとおり、原告は、後任の取締役の選任をいつでもできる体制にありながら、しかも、昭和五九年二月中旬ころ、取締役の登記名義が残っているのを知った被告河野から久万やすに対し早急に右登記を抹消されたいとの申入れがされたにもかかわらず、多忙を理由にこれをなさず、あえて被告河野の職業選択の自由を侵害し、また、原告の近隣で翔栄興産が営業しているのに、久万一は被告河野になんの注意、警告もせず、さらに、それまで一度も正式の株主総会等を開催したことがなかったのに、昭和五九年七月にあえて大企業並みに役員会開催の通知を被告河野になし、その直後に、本訴を提訴して高額な賠償を被告らに請求しているものであって、そのやり方は狡猾であり、信義に反するものである。

四、抗弁に対する認否

抗弁は争う。すなわち、原告は、信頼して営業のすべてを任せていた営業部長で役員でもある被告河野、加工主任の被告川田及び経理主任の被告中平に突然裏切られ、従業員の殆どを引き抜かれ、得意先も計画的に取られ、一〇〇〇万円以上の在庫を抱えたまま、事業麻痺、倒産寸前の状態に追い込まれて投げ出されたのである。久万一及び久万やすは原告の経営に関与していたけれども、現場の事業運営は、事実上、役員でもある被告河野に任していたので、同被告ら退社当時は引継ぎ担当員の補充もつかず、困り果てて取り敢えず久万水産の従業員に担当させるような窮状であり、取引先の場所さえ定かに知る者もおらず、急遽市内地図を買い求めて債権の回収にあたるような状態であって、残された久万一らは、原告の倒産を防止するため、久万水産の経営の傍ら売掛代金の回収、在庫の把握及び処分、新従業員の採用及び教育等気の休まる暇もない毎日であり、大幅な赤字を続けながら辛うじて営業を続けている実情であって、直ちにその日の戦力にもつながらない臨時株主総会どころではなかった。そして、できれば被告河野の後任としては、同被告の場合と同様、原告の現場で直接その経営等にあたれる人材を得たいが、長年信頼して任せていた同被告に裏切られたショックからの迷いもあり、暗中模索しているうちに定時総会の時期となったものである。

第三、証拠<省略>

理由

一、判断の前提となる事実関係

<証拠>(後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証人久万やすの証言及び原告代表者本人尋問の結果の各一部は、いずれも措信せず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

1. 久万一と被告河野は、高校の同級生であって、昭和三九年以来の友人であったところ、被告河野が訴外高知スーパーに勤務していた昭和五一年ころ、同スーパーに鮮魚を納入し始めた久万水産を経営していた久万一の要望で、同被告は、久万水産に商品の量販店への納入や品質管理等に関するノウハウを教えるなどした。その後、同被告は、一時鮮魚の小売をした後、久万水産に勤務することとなった。(同被告が昭和五二年三月から久万一が経営する久万水産に勤務したことは当事者間に争いがない。)

2. 原告は、冷凍食品、鮮魚及び一般生鮮食品の加工及び販売等を目的として、昭和五四年三月一四日設立された株式会社である(当事者間に争いがない。)ところ、設立時の資本金は五〇〇万円(発行済株式数は一万株、株式の譲渡は取締役会の承認を要する旨規定)であり、その資本構成は、久万一・真理子夫婦二〇〇万円、久万やす九〇万円、久万勇(久万一の父)一〇万円、被告河野夫婦一〇〇万円、前田五〇万円、岡田五〇万円の各出資であり、久万一が代表取締役、妻の久万真理子が監査役で、妹久万やすが取締役で経理関係を担当し、被告河野が取締役兼営業部長として営業関係を担当することとなったが、久万一は実際の営業関係には直接関与せず、原告の営業は、被告河野の指揮、責任で運営されることとなり、原告の顧客の獲得、維持については同被告の多大の貢献があった。(被告河野が原告の設立とともにその取締役営業部長に就任したことは当事者間に争いがない。)

3. 被告川田は、久万水産に勤務していたが、原告設立後約一年経過したころ原告に出向し、昭和五七年四月二一日から原告の加工主任として勤務していた(当事者間に争いがない。)。

4. 被告中平は、昭和五四年四月久万水産に入社後、昭和五五年二月一六日から原告に勤務し、昭和五八年夏ころ以降原告の経理主任として勤務していた(同被告が昭和五四年四月久万水産に入社後原告に勤務したことは、当事者間に争いがない。)。

5. 昭和五八年一二月当時の原告の従業員は、被告ら三名の他には、後記前田悟が取締役工場長として、田内が営業担当として、浜田勢津子が被告中平の後任の経理担当として勤務していた他は、パートタイマーとして河野徳子の他女性一名が勤務していただけであった。

6. 昭和五八年一〇月ないし一一月ころ、久万一は、久万水産の事務所内において、被告河野が原告の交際費を水増し着服し、その金で被告中平に宝石を買ってやったこと、被告河野と同中平につき具体的な話として男女関係があるということ、被告河野が会社をやめるならやめてもよいが信用上自分で仕事ができないだろうなどのことを、同水産の従業員川村憲夫(以下「川村」という。)他二、三名の従業員のいる面前で述べた。

7. 右のことを同年一二月上旬ころ川村から聞き及んだ被告河野は、身の潔白を明らかにした後、原告を退職する決意をしていたころ、同月中旬ころ、久万一から、交際費を低額に抑えるよう及び被告中平との交際をやめるように言われた。これに対し、被告河野は、交際費を水増し着服したことはないので、その件については徹底的に調査されたいこと、被告中平との男女関係は事実無根であり、全くの中傷であること、被告中平が買った指輪の代金は同被告が支払ったものであり、被告河野とは無関係であることを述べた。その後、被告河野が原告の交際費を水増し着服していた事実はなかったこと及び指輪も被告中平が購入してその代金を支払っており、被告河野とは関係がなかったことが判明し、また、被告河野と同中平との男女関係のことも単なる噂程度のものであった。

8. 被告河野は、久万一が、同被告に直接聞こうともせず、かつ、確たる根拠もないのに、久万水産の従業員の面前で、原告の金員を着服したかのように述べ、また、被告中平と男女関係があるなどと述べて中傷したりなどしたことで、久万一には人の上に立つ経営者としての資格がないと考え、退職の意思を固め、原告の仕事に対する意欲を失ったが、顧客に迷惑をかけてはいけないと思って年末商戦を切り抜け、昭和五九年一月八日、同月二五日限りで退職したい旨久万一に申し出て、同月一八日、被告河野夫婦が原告に出資していた一〇〇万円の返還を受け、同月二五日原告を退職した。(被告河野が、昭和五九年一月八日に同月二五日限りで退職する旨原告に申し出て、右同日原告を退職したことは、当事者間に争いがない。)

9. 久万一及び久万やすの兄妹は、日頃から、原告及び久万水産に勤務する従業員やその家族のことにつき非難中傷するなど従業員に対する思いやりを欠いた言動をしていた。

10. 被告中平は、以前から、原告及び久万水産の経営者である久万一及び久万やすの右言動に嫌悪の情を抱いており、そのような経営者の下では働きたくないと思い、それまでにも原告を退職したいと考えてその旨の話をし、慰留されて翻意したこともあったところ、昭和五八年一二月中旬ころ、被告河野から、久万一が、被告河野が原告の交際費を水増し着服してその金で被告中平に宝石を買ってやった、被告河野と同中平に男女関係があるなどと中傷していることを聞かされたことで強く憤慨し、家族とも相談の上、退職を固く決意し、慰留されることのない「結婚」という理由を名目にして、昭和五九年一月中旬に退職したい旨原告に申し出た。同被告が退職することとなったため、原告は、昭和五八年一二月一九日、同被告の後任として浜田を採用補充して経理の担当とし、同被告は、浜田に従前同被告が担当してきた経理事務の引継ぎをしたうえで、昭和五九年一月一四日原告を退職した。(被告中平が、昭和五八年一二月中旬、結婚を名目上の理由にして昭和五九年一月中旬に退職したい旨原告に申し出て、同月一四日原告を退職したことは、当事者間に争いがない。)

11. 被告川田は、久万兄妹の久万水産及び原告に勤務している従業員やその家族に対する思いやりに欠ける言動や態度等により、昭和五八年夏ころから原告を退職することを考えていたところ、同年末ころ、入院中の前田に対し、久万一が同人の病状を思いやらずに翌昭和五九年一月五日から出勤するよう命じたことなどを聞き及び、これが直接のきっかけとなって、退職する意思を固め、昭和五九年一月四日、同月一四日付で退職したい旨申し出て、同月一四日、原告を退職した。(被告川田が、昭和五九年一月四日、同月一四日付で退職したい旨申し出て、同月一四日、原告を退職したことは、当事者間に争いがない。)

12. 前田は、久万一と幼なじみだったことから、昭和五一年一〇月ころ、運転手として久万水産に入社し、その後、加工に携わり、原告が設立される際、久万一から要請されて五〇万円出資して株主となり、昭和五四年九月ころから原告に勤務するようになった後、久万一に言われるまま原告の取締役となり、加工工場長として稼働していたところ、昭和五八年一一月中旬、仕事中に椎間板ヘルニアを発症し、これと慢性肝炎の治療のため入院中の同年一二月中旬ころ、見舞いに来た久万一から年末まで休んで翌昭和五九年一月五日から出勤するよう命じられたことから、原告に勤務していては病気の治療が十分できないと考えて、同月八日、久万一に退職を申し出た。その際、前田は、久万一から、一月入院すればどんな病気でもよくなるとか、中央病院が入院させなかったのはその必要がなかったからだとか言われ、思いやりがないとは思ったものの、退職するつもりであったため、これに対して特に反論はしなかった。そして、前田は、同月二〇日原告を退職し、同人の取締役の登記は、右同日辞任を原因として同年二月八日に抹消された。(前田が昭和五九年一月二〇日原告を退職したことは、当事者間に争いがない。)

13. 川村は、久万一と高校の同級生であり、昭和五〇年六月ころから久万水産に勤務していたが、久万一から営業能力がなく売上が悪いとして叱責されたことから久万水産で稼働する気持ちをなくし、昭和五九年一月限りで久万水産を退職したが、退職の送別会の席で、久万一から、これから先この仕事をするにしても自分に逆らったらいつどうなるかわからない旨言われた。

14. 翔栄興産は、農産、水産食品、それらの加工食品及び総合冷凍食品の卸、小売業を目的として、昭和五九年一月二〇日設立された株式会社であるところ、設立時の資本金は二八〇〇万円であり、その資本構成は、被告河野の父茂が二〇〇〇万円、被告河野が五五万円、同被告の妻が五〇万円、被告川田が四〇万円、同中平が一三〇万円、その他四名で五二五万円の各出資であり、被告河野が代表取締役、同川田及び同中平が取締役、河野茂が監査役に各就任した。

15. 翔栄興産は、被告河野が原告を退職した翌日である昭和五九年一月二六日から、原告の一つおいて隣で営業を開始した。右同日朝、被告河野は、市場で久万一に出会った際、同人に翔栄興産が営業を開始したことの挨拶をしたところ、同人は「そうか」とのみ答え、特段の異議を述べなかった。

16. 翔栄興産の営業は、それまで原告が取引していた主要な顧客を原告に替わって引き継ぐかたちで開始された。そして、その影響で、原告の受注は、昭和五九年二月に入ると従前に比して格段に減少した。

17. 一方、被告らが原告を退職することが確定的となった昭和五九年一月一〇日ころ、残された人員では原告の運営が困難となったので、久万一は、以前原告に勤務したことのある久万久に原告に再就職して原告の営業を担当してほしい旨依頼した。久万久は、原告の仕事が自分に合わないとして前に退職したこともあって、あまり気は進まなかったものの身内のことでもあるので、当時勤務していた会社を同月末日限りで退職することにして、被告河野が退職することとなっていた同月二五日から原告に勤務した。また、原告は、被告らが退職後、久万水産に勤務していた山崎喬を原告に出向させて加工を担当させ、同月一八日、西森某を新規に採用して主として配達を担当させ、同年二月一日、川崎光を新規に採用して主として加工を担当させ、急場を切り抜けるべく努力した。原告は、被告らの後任として、そのような人的補充をしたものの、後任者が原告の営業に不慣れであって、手持ちの注文を処理するのに精一杯の状況であった。

18. 昭和五九年二月中旬ころ、被告河野は、原告の取締役としての登記簿上の記載が抹消されずに残っていることを知ったので、久万やすに対し、早急に抹消されたい旨強く要求したが、右抹消登記は、後記のとおり、同年七月二五日までされなかった。

19. 田内は、昭和五九年三月一日、河野徳子は、同年四月一六日ころ、いずれも、それまで勤務していた原告を退職して翔栄興産に就職した。前記前田は、同年六月上旬ころから翔栄興産に就職した。(当事者間に争いがない。)

20. 原告は、前記2のとおり、小規模な同族会社であって、設立以来株主総会や取締役会を正式に開催したことがなかったのに、昭和五九年七月二三日に役員会開催の通知が被告河野に送付されたので、同被告は、すでに原告を退職しているので関係がないとして出席を断り、早急に残っている取締役の登記を抹消するよう原告に返答した。

21. そして、昭和五九年七月二三日開催の原告の定時株主総会で岡田が取締役に選任され、同月二五日、岡田の取締役就任登記がされるとともに被告河野の取締役の登記名義は抹消され、その後、同月三一日、本訴が提起された。

二、本訴請求についての判断

1. 原告の本訴請求原因は、必ずしも判然としないが、昭和五八年一二月中旬ころ、被告らにおいて、原告とその営業内容を同じくする新会社を設立して、原告の従業員を引き抜き、原告の取引先を取り込んで利得し、原告に損害を加えるべく共謀し、昭和五九年一月二〇日に原告と同営業内容の翔栄興産を設立して、被告河野はその代表取締役、その余の被告らは取締役となったうえ、同月二五日までに順次原告を退職し、同月二六日から原告の従前の取引先を顧客として取り込んで営業を開始し、その後、原告に勤務していた従業員を引き抜いて営業を継続している旨主張し、右一連の行為が信義則違反による不法行為を構成する(被告河野が原告の取締役であったこと及び原告退職後において商法二五八条一項によりなお取締役としての権利義務を有することは、信義則違反を判断するうえでの一要素となると解される。)として、被告ら三名に対し、民法七〇九条に基づき本訴請求をなすとともに、被告河野については、商法二五八条一項により原告退職後もなお取締役としての権利義務を有するので、同被告は、原告に対し忠実義務(同法二五四条ノ三)及び競業避止義務(同法二六四条)を負っており、同被告の右一連の行為が右各義務に反するとして、同法二六六条一項五号に基づく請求もしているものと解される。

2. 被告らは、被告河野は原告を退職した以上、本件の具体的事情の下においては、同被告に商法二五八条一項が適用される実質的要件がないと主張するけれども、同条項は、「法律または定款に定めた取締役の員数を欠くに至った場合においては、任期の満了または辞任によって退任した取締役は、新たに選任された取締役が就職するまでなお取締役の権利義務を有する。」と規定するのみであり、右に該当する事態が生じたときは当然に同条項の適用があると解される。しかるところ、被告河野が原告を退職することによって原告の取締役を辞任した昭和五九年一月二五日当時、前認定したとおり、原告の取締役として、久万一及び久万やすの兄妹と被告河野の三名が就任していたにすぎなかったのであるから、被告河野の退職によって、原告は取締役の法定数である三名(商法二五五条)を欠くこととなったものである。そうすると、同被告は、その後に岡田が原告の取締役として就職した同年七月二三日までは、原告退職後もなお商法二五八条一項により原告の取締役としての権利義務を有していたものといわざるをえない。したがって、この点に関する被告らの右主張は、採用の限りでない。

3. ところで、被告川田及び同中平は、原告の単なる従業員であって、個人として本来的に職業選択の自由を有しているのであるから、原告退職後において、原告と同内容の営業を個人で始めようと、また会社組織で始めようとも、原告の営業と競業関係に立つ営業をなすこと自体は、その営業の手段方法に法令もしくは信義則に反する違法不当な点がない限り、会社との間に生ずる利害衝突は自由競争の結果として容認され、なんら不当なものではない。原告に勤務していた故をもって、その退職後に原告と競業関係に立つ営業に従事してはならないなどという信義則上の義務はないといわなければならない。しかるところ、被告ら三名が原告を退職した主たる理由は、前認定したとおりであり、原告の主張するような「被告らは共謀の上、原告とその営業内容を同じくする新会社を設立して、原告の従業員を引き抜き、原告の取引先を取り込んで利得し、原告に損害を加えようと企図」したからであるとは、本件証拠上、認定できない。また、被告らが共謀して原告の従業員(原告の主張によると、田内と河野徳子)を引き抜いたこと及び被告らが違法不当な手段方法を用いて原告に損害を加える旨共謀したことを認定するに足りる証拠はない。もっとも、田内及び河野徳子が原告を退職して翔栄興産に勤務したことは、前認定したとおりであるけれども、前記乙第六号証、被告河野本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右の者らは各自の自由な意思に基づき原告を退職して翔栄興産に勤務したものであると認められ、被告らが慫慂したものとは認められず、この認定に反する証拠はない。しかして、従前原告と取引関係にあった顧客と翔栄興産が取引をすることそれ自体は自由であり(被告河野に関しては、後記4で検討するとおりである。)、ただ、その顧客と新たに取引関係を得るに際して自由競争の範囲を逸脱した違法不当な手段方法をとった場合には、そのこと故に不法行為となることがありうるけれども、本件においては、被告らがそのような手段方法をとったことを窺わせるに足りる証拠はない。そうすると、被告川田及び同中平において、原告の退職前に、被告河野から、同被告の退職後に原告とその営業内容を同じくする会社を設立し、従前の原告の顧客を取引先として営業することの相談を持ち掛けられ、これに賛同して原告退職後に翔栄興産に資本出資するとともにその取締役に就任したものであるとしても、これをもって、被告らに信義則違反の不法行為が成立すると解することはできないというべきである。

4. 被告河野に対する商法二六六条一項五号に基づく請求について検討する。

(一)  被告河野は、原告を退職した昭和五九年一月二五日、退職とともに当然原告の取締役を辞任したものと解されるけれども、商法二五八条一項により、右同日以降後任の取締役が就職した同年七月二三日までは、なお取締役の権利義務を有するものとして、原告に対し忠実義務(商法二五四条ノ三)及び競業避止義務(同法二六四条)を負っていると解すべきことは、前記のとおりである。そうすると、原告を退職後といえども、被告河野が、その代表取締役として、原告の営業と競業関係にある翔栄興産の営業に携わることは、形式的には、同被告が原告に対して負っている右各義務に違反しているといわざるをえない。

(二)  商法二五八条一項の規定が設けられたのは、取締役の終任により、法律または定款に定めた取締役の員数を欠くにいたった場合には、会社は遅滞なく株主総会を招集して、後任の取締役を選任しなければならないが、わが国の現状では、法の定めた手続遵守に無頓着な小規模株式会社等において、全取締役の任期が終了した後も新取締役が選任されないまま放置されるような事態が時に生じており、実際に過料が科せられることも少なくなく、そのような場合に取締役の職務を行う者が存在しないと扱われると大きな混乱が生じることが予想されるので、そのような混乱をさける必要があること、また、会社が取締役の終任に際して、遅滞なく後任の取締役の選任手続をとっても、新たな取締役が選任されて就任するまでには若干の日時を要するところ、その場合には、民法六五四条が規定する委任終了時の受任者の応急処分義務で対処することが考えられないではないけれども、より明確を期するための規定があれば、そのほうが望ましいこと等が考慮された結果であると解される。ところで、同条項によって退任取締役がなお取締役としての権利義務を負うとされるのは、退任の原因が「任期の満了」または「辞任」による場合に限られているが、右以外の退任の場合には、会社の取締役に対する信頼関係が破れるのが普通であるから、当該取締役に権利義務を継続させることが不適当とされたからであり、また、「解任」の場合には、右理由に加えて、同時に後任者を選任することが容易であるから、その必要がないとされたからであると解される。

(三)  ところで、商法二五八条一項が適用されない場合、退任した取締役は、個人として本来的に職業選択の自由を有しているので、一般的には、取締役辞任後に、会社の営業と競業関係に立つ営業をなすこと自体は、その営業の手段方法に法令もしくは信義則に反する違法不当な点がない限り、会社との間に生ずる利害衝突は自由競争の結果として容認され、なんら不当なものではない。そして、退任取締役に同条項が適用される場合でも、後任の取締役が就職した後は、右と同様である。しかして、取締役の終任により、法律または定款に定めた取締役の員数を欠くに至った場合には、会社は遅滞なく株主総会を招集して、後任の取締役を選任しなければならず、その選任手続を怠ったときは、取締役は過料に処せられるとされている(商法四九八条一項一八号)けれども、仮にそのような規定がなくとも、退任取締役に商法二五八条一項が適用される場合には、後任の取締役が就職するまでは、当該取締役が個人として本来的に有する職業選択の自由(営業の自由)が制限される結果となるのであるから、会社としては、そのような状態が発生すること自体を避けるべきであり、もしそのような状態が発生した場合には、できるだけ速やかにこれを解消すべきことが要請されているというべきである。

(四)  被告河野が原告に就職後退職するまでの経緯は、前記一1、2、6ないし8で認定したとおりであるが、同被告が陳述書(乙第六号証)及び同被告本人尋問において供述する退職の動機(前記一7、8)は、それ自体首肯できるところである。そして、前記一2、5で認定したとおり、原告は、久万一の親族を中心とする従業員数も少ない小規模な同族会社であり、同被告は、原告の設立当初から、取締役兼営業部長として、その営業全般につき、全責任をもって担当してきたものであり、原告の取引先も同被告が獲得、維持してきたものであるから、同被告にはそれなりの自負心が有ったものと考えられるところ、同被告の原告に対する貢献について久万一が正当に評価せず、同人からあらぬ疑いをかけられて、その名誉を強く傷つけられたと感じて憤慨したであろうことは、推認するに難くない。そして、その際、原告を退職して新会社を設立し、自らその代表取締役となって原告と同種の営業をやってみようと考え、被告川田や同中平にその旨を話して相談したとしても、不自然ではない。ところで、被告河野は、この点に関し、前記第二、4、(四)記載のとおり、「昭和五九年一月中旬ころ、久万一から原告は今後支払条件のよい顧客とのみ取引し支払条件の悪い旅館関係等は同被告の退職時までに取引を断るよう指示されたことから、事実上、自ら開拓したこれら顧客を断ることの寂しさも契機となって、そのころ、従前の経験を生かして独立することを模索し始め、また、被告川田及び同中平に対し、資金的に目途がつけば独立したい旨話をした」ものであると主張し、被告河野の前記陳述書及び同被告本人尋問の結果は、右主張に副うものであるが、前認定した被告ら三名の退職時期、翔栄興産の設立時期等その後の経緯に照らせば、この点に関する右各証拠の記載内容及び同被告本人尋問の結果は直ちに措信できず、少なくとも、被告河野が退職を決意して甲第三号証の「退職届」を記載した昭和五八年一二月三一日には、原告を退職して新会社を設立し、自らその代表取締役となって原告と同種の営業をやってみようと考え、その後遠くない時期に被告川田や同中平にその旨を話して協力方を依頼したものと推認するのが相当である。そして、被告らの間で、原告退職後新会社を設立して原告と同種の営業をする旨の相談がなされたとしても、同被告らは、商法二五八条一項の規定の存在など知らないのが通常であろう(これを知っていたと認めるに足りる証拠はない。)から、被告らにおいて、被告河野が原告を退職すれば、そのような営業をすることも本来自由になしうることであると考えたとしても、無理もないところである。そして、同被告が、そのように考えていたことは、前記一、15で認定したとおり、原告を退職する日を待ちかねたようにその翌日から翔栄興産の営業を開始し、市場で出会った久万一に開業の挨拶をしていることからも明らかというべきである。

(五)  ところで、被告河野が原告を退職する意思を明確にしたときから、原告において、後任の取締役を速やかに選任すべく株主総会開催等の準備をし、同被告の退職と同時にあるいはそれと近接した時期に後任の取締役が選任されて就職していれば、それ以降は、商法二五八条一項は適用されず、前記のとおり、同被告は、その営業の手段方法に法令もしくは信義則に反する違法不当な点がない限り、原告の営業と競業関係に立つ営業も自由にすることができた筈である。しかるところ、被告河野が久万一に退職する旨申し出たのは昭和五九年一月八日であり、退職した同月二五日までには二週間余の期間があったこと、退職当時の原告の株主は、久万一、久万真理子、久万やす、岡田の四名であったが、岡田は久万水産の従業員であり、その余は久万一の妻及び妹であるから、久万一が株主総会を開催して後任の取締役を選任しようとさえ思えば、いわばいつでも可能であったこと、後任の候補者としても原告に一部資本出資している岡田であれば適任といえること(後日、岡田が取締役となっている。)、原告はこの点に関し前記第二、四記載のとおり主張するところ、被告らが退職して原告の営業が危機に瀕したことはそのとおりであろうと思われるけれども、右のような株主構成の原告において、後任の取締役の選任にさほどの時日を要するとは考え難く、久万一が後任の取締役を真摯に選任しようとさえ思えば二週間もあれば十分であろうと考えられること、前記一、18で認定したとおり、被告河野は、昭和五九年二月中旬、久万やすに対し、原告の取締役としての登記簿上の記載を早急に抹消するよう強く要求したにもかかわらず抹消されなかったこと、以上の諸事情に鑑みれば、原告において、被告河野の後任の取締役の選任を懈怠し、その結果として、同被告が取締役退任後は個人として本来有する職業選択の自由を制限しておきながら、これを奇貨として同被告の原告に対する忠実義務違反及び競業避止義務違反を主張することは、他人の権利をないがしろにして自己の権利の保護のみを求めるものであって不公正な態度といってよい。

(六)  また、前記認定したとおりの理由で、被告ら三名及び前田は原告を退職し、川村は久万水産を退職しているところ、各退職の理由は、いずれも首肯できるものであること、被告河野及び川村は久万一と高校の同級生であり、前田久万一と幼なじみであったものであるが、いずれも右のとおり久万一の下を去っていること、前記一9で認定した事情などに鑑みれば、久万一及び久万やすは前記一9で認定した言動等の故に従業員からの信望が薄かったものと認められ、被告ら三名、前田、田内及び河野徳子が次々と原告を退職していったのも、結局は、経営者たる久万一及び久万やす兄妹の責任に帰するものということができる。

(七)  以上検討したところによれば、要するに、被告河野は、形式的には、岡田が後任の取締役として就職した昭和五九年七月二三日まで、原告の取締役としての権利義務を有していたものというべきであるけれども、同被告が、退職の意思を強く表明した同年一月八日以降において、原告が、後任取締役を速やかに選任すべき義務を真摯に尽くしていたならば、原告のその当時の株主構成からみて、同被告が退職した同月二五日までに後任取締役を選任できていたものと認められるのに、同被告から同年二月中旬に後任取締役を早急に選任するよう要求されたにもかかわらずその努力をすることなく放置し、そのことの反面として、同被告の職業選択の自由(営業の自由)を妨害しているものと評価できること、被告河野が原告を退職した前記認定の事情からすれば、原告と被告河野の信頼関係は破れており、商法二五八条の前記の立法趣旨に鑑みれば、同被告に原告の権利義務を継続させることは実質的にみて不適当と考えられること、翔栄興産の営業活動の手段方法に違法不当な点は見出せないこと、被告河野が原告を退職した理由はもっともなものであり、同被告に違法不当な手段方法を弄して原告の顧客を奪い、敢えて原告に損害を加えようとの積極的な害意はなかったこと、被告川田及び同中平の退職理由も首肯できるものであり、右両名にも右のような害意はなかったこと、田内及び河野徳子は自由な意思で原告を退職して翔栄興産に勤務したものであり、被告らが原告から右両名を引き抜いたものではないこと、久万一と親族関係にない原告の被傭者が相次いで退職していったのは帰するところ経営者たる久万一の責任というべきであること、以上の諸事情が認められ、これら諸事情を勘案すれば、原告が、商法二五八条一項を根拠にして、原告退職後の被告河野になお原告に対する忠実義務及び競業避止義務があることを主張するのは、民法一条に則り、信義則に反する主張として許されないというべきであり、したがって、原告が、商法二六六条一項五号に基づき、同被告に損害賠償を請求することは、権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。抗弁は、理由があるに帰する。

三、結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも失当であるのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐堅哲生)

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